時代による音楽の消費のされ方(お金の払われ方)- ASCII.jp:なぜ音楽は無料が当たり前になってしまったのか

“音楽の生産/消費のされ方は時代によって劇的に変化している”ということで言えば、“アルバム”が持っていたと思われる全体性=楽曲制作者が思い描いたトータルな世界観は、レコーディング技術の飛躍的な発達以前にはむしろ「コンサート」のほうに認知されていた。現在のクラシックの演奏会で常識となっている、厳粛に音楽と対峙し、作曲家や演奏家の精神性を読み取ろうとするあの態度である。

ところが、こうしたコンサートにおける音楽との接し方も19世紀の新興ブルジョアジーの台頭とともに誕生したものに過ぎず、さらに以前の18世紀の演奏会というのは貴族階級の社交会におけるBGM程度の代物だった。J・S・バッハもモーツァルトも、聴衆はおしゃべりをしながら、飲み食いをしながら喧騒の中で適当に聴いていたのである。

これが19世紀に入ると娯楽に金を回すことができる中産階級の出現によってコンサートがビジネスの体裁を整え、同時に“音楽がれっきとした芸術である”といういわば音楽の地位向上のために、楽曲に注入された作曲家の精神性、演奏家が表現する楽曲の世界観がスポットライトを浴びるにいたった

引用元: ASCII.jp:なぜ音楽は無料が当たり前になってしまったのか (4/5)|高橋幸治のデジタルカルチャー斜め読み.

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