歴史と人文学への関心

私は学生の頃から日本史が好きで、受験でも日本史を専攻しました。ただ本格的に歴史学を学んだわけではなく、いわば受験科目の範囲の“歴史好き”止まりだったと思います。ところが社会人になり、再び歴史への関心が深まり、さらには人文学の他の分野へも興味が広がってきています。

まだ学びの途中ですが、どのような経緯で再び歴史に惹かれ、そこから人文学という領域にまで興味を広げるようになったのかを整理してみたいと思います。

歴史への興味が再燃したきっかけ

社会人になってからひょんなことから落語に興味をもちました。特に古典落語が好きで、寄席に行ったりCDでいろんな作品を聞いているうちに、そこに描かれる江戸の町や庶民の暮らしに興味を覚えました。というか、そういう背景が理解できると、落語をもっと深く鑑賞できると思って、本を読み始めたのが最初です。

当時実際に読んだのは

といった書籍。

ただ、江戸の文化を調べるうちに、「江戸だけでなく、日本史全体をもう一度俯瞰したい」と考えるようになり、その時に見つけたのが東京大学のUTalkのアーカイブ動画です。

東京大学のUTalk「流れをつかむ日本の歴史」

UTalkは東京大学の情報学環・福武ホール主催のカフェイベントですが、私が見つけたのはそのアーカイブ動画。「流れをつかむ日本の歴史」というタイトルで、東京大学史料編纂所教授の山本博文先生がお話されていました。

大きなタイムスケールで歴史を考えると、見え方がまるで変わってきます。朝廷や武士の位置づけ、海外からの文化的影響がいつ、どのように入ってきたのかといったポイントも、長い流れの中で捉えると全然違う発見がありました。

当時の私は江戸時代ばかりに目を向けていましたが、このあたりで「日本史の全体像をもっと知りたい。どうやら受験で勉強したのと違う話になってそうだ」と思うようになった記憶があります。

gaccoの「日本中世の自由と平等」

日本史の全体像を適度に深く解説している都合よく良いリソースが見つからず、代わりに出会ったのが当時、スタートしたばかりのオンライン学習プラットフォームgaccoの講座でした。

全体像ではないけど、一旦、日本史のピンポイントテーマをもう少し深掘りしてみようと思い受講したのが本郷和人先生の「日本中世の自由と平等」という講座です。この先生の話がめちゃめちゃ面白かった。

本郷先生の主張は、暗記科目としての歴史に疑問を呈し、「本当は解釈次第でいくらでも新しい見方が生まれる“動的な”科学なのだ」というもの。ただ適当に解釈していいわけではなく、一次史料にあたり、常に根拠を示しながら解釈を提示していく学問だということや、その上でどういう解釈ができるかについて、「中世の所有や自由、平等の変遷」を例に話されていました。(アーカイブを見返せないので細かいところは覚えてないけど、確かそんな話だったはず)

深堀りと思って受けた講座が期せずして歴史学の視点に触れることになりました。

歴史をどう捉えるか

そしてもう一つ、自分にとって大きな出会いは同じ東京大学が公開している学術俯瞰講義「歴史とは何か」です。特に第1~3回で羽田正先生が話された「歴史なんていらない?」という講義です。

「歴史とは何か」から始まって、歴史が近代国家の形成に密接に関係していること、そのため国によって語られる歴史も世界観も違っているということ。国によって歴史の「授業」で扱う範囲が違っているとは想像していたけど、史観・世界観からして違っているという話が衝撃的でした。

教えられる歴史が変わると世界の見方が変わる。世界の見方は国によって全然違う。日本の歴史はヨーロッパの影響を大きく受けているので、世界の見方もヨーロッパ的。ただ、それが正しい見方かどうかは分からないし、少なくとも世界共通の認識ではない。という話を聞いて、これまで1つだと思っていた世界が2重、3重に見え始めた感覚を覚えました。

複数の視点や意見を突き合わせたうえで自分の頭で考えることが、歴史を学ぶ本質的な意味だと気づき、これ以降の関心の広げ方の起点になった瞬間です。

ポッドキャストでさらに広がる世界

その流れでいろんなポッドキャストを聞くようになり、大人気コンテンツの「コテンラジオ」もこの時から聞き始めました。歴史のエピソードや偉人伝だけでなく、その社会的な背景や経緯も含めてすごい情報量を分かりやすく語りながら、そこから得られた示唆を共有してくれるので、今でも楽しみに聞いています。

なかでも心に残ってるのが、三蔵法師・玄奘のエピソードで紹介されていた「唯識」という概念。世界は私たちの「認識」の投影であり、認識が変われば世界が変わるといった話が紹介されていました。(超ざっくり過ぎて正確性がそがれているかもしれない)

この辺から仏教の思想・哲学に興味がでてきました。先日、実験寺院・寶憧寺の松波龍源さんのお話を聞く機会があったのですが、これもその延長です。

このほかにも、哲学や言語学、社会学、アートを扱うポッドキャストも聞いています。話している人の頭が良すぎて、こっちまで頭が良くなった気になってしまいますが(認識の誤りw)、理解の解像度が上がったり、視点が広がるので楽しく聞いています。

おわりに

以上が、私が社会人になってから歴史への興味を再燃させ、人文学へと関心を広げてきた道のりです。もともと日本史は好きでしたが、大人になって学び直してみると、単に年表を覚えるだけでは得られなかった知的な刺激を味わうようになりました。

 具体的には、世界の見え方が少しずつ変わってきた気がしています。どう変わったのかを正確に言葉にするには、まだ知識も経験も足りないのですが、それでも「以前とは違う角度から世界を眺めている」という感覚を楽しめるようになりました。それでお金を儲けられるわけでも、仕事に直接生かせるわけでもないけれど、仕事だけでは得られない高揚感や満足感があるのは確かです。

そうした知的なよろこびを感じられるようになったのが、一番の収穫だと思っています。

歴史と人文学への関心” への1件のフィードバック

  1. […] 歴史から始まって、最近は人文学的なテーマに関心があるので本を読んだりPodcastをきいたりしているというのは前に「歴史と人文学への関心」というエントリーでも書いたのですが、何故そう言うことに興味を持ってきたのだろう?というメタな問いが出てきて、ChatGPTと対話してみました。その対話ログ。 […]

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